鯨船 南納屋町・明神丸(くじらぶね みなみなやちょう・みょうじんまる)

「鯨船」は、漁師町であった南納屋町が、鯨漁の勇壮な光景を取り入れて、諏訪神社の例祭・四日市祭の余興に考案したのが始まり。

今から230年ほど前は「鯨つき」と記録されており、竹製の粗末な船で周囲に幕をたらした簡素なものだった。

現在の鯨船「明神丸」の旗印は、つづれの錦であり、今日ではまれに見る高貴な織物である。

戦前の四日市祭では、北納屋町、東袋町にもあったが、昭和20年の戦災で焼失し、今の南納屋町の「明神丸」ただひとつ残っている。

演技は、絢爛豪華な鯨船に乗り込んで鯨を追う技を、前進、後退、あるいは左右に変化しながら動き、船の上の艶やかな少年たちとあいまって豪華で勇壮な一大絵巻をみせる。

また、情緒ある舟歌が演技に趣きを添える。

(県指定有形民俗文化財)

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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鯨船 富田北島組・神社丸(くじらぶね とみだきたじまぐみ・じんじゃまる)【富田地区】

勇壮なむかしの捕鯨の様子を奉納神事として再現した鯨船。

江戸時代から伝わり、富田地区には現在、「神社丸(北島組)」「神徳丸(中島組)」「感應丸(南島組)」「権現丸(古川組)」の4隻の鯨船がある。

今年は、その中から、北島組の神社丸が出演する。

「横幕」や「水押しのさがり」など装飾品の新調をはじめ、全体的に修繕が施され、今回が化粧直し後、初披露となる。

門出の祝唄に送られて港を出た船が、鯨を発見し波に翻弄されながらも追跡する。

やっとの思いで追いつき銛を打とうとするが、暴れ廻って怒る鯨に逆に追われ、後退を余儀なくされる。

一息入れ、体勢を立て直し再び鯨を追い込み、海面より躍り出た瞬間に銛が放たれる。

船の大きさは、長さ約6.5m、幅約1.5m。張りぼての鯨は、長さ約4m、幅約1mもあるという。

鳥出神社の例大祭の奉納行事として、毎年8月14日に町内練り、15日に鳥出神社への奉納が行われる。

(国指定重要無形民俗文化財)

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西日野大念仏(にしひのだいねんぶつ)【四郷地区】

今から600年~700年ほど前に、西日野町の西明寺(現在の顕正寺)に現れた魔障(仏道の修行をさまたげる悪魔)を封じ込めるために、住職が祈念したのが始まりといわれている。

直径2m以上ある太鼓や300kgもある鉦の大きさは他に類をみないもので、肩に担いだ太鼓と鉦を、念仏代わりに決まった回数(9打は「南無不可思議光如来」、10打は「帰命盡十方無碍光如来」)を打ち鳴らしながら練り廻るさまは、迫力満点である。

地元では、8月13日に東日野町の太鼓と鉦が西日野町の顕正寺に、そのお礼として15日に西日野町が東日野町の西覚寺に練り込み、お互い参詣しあっている。

今年の「大四日市まつり」には西日野が参加。

西日野の太鼓の上には幣があるのが特徴。

(県指定無形民俗文化財)

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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大名行列(だいみょうぎょうれつ)【中部地区】

江戸時代に東海道の宿場町として栄えた四日市には、参勤交代の行列を手助けする人馬が存在したことから、その人たちが多く住まいした、旧・比丘尼町と旧・久六町が、諏訪神社の祭礼行事にそのようすを再現して奉納したのが始まり。

現在は旧・比丘尼町(現在の元町1区)の下りの大名行列が受け継がれている。

下りの大名行列が駕籠なのに対して、旧・久六町の上りは馬に乗った大名が登場した。

町印の看板を先頭に、挟み箱、白長柄槍、台傘、立傘、大鳥毛、黒長柄槍、駕籠と続き、「ヒーサーヒー」の掛け声とともに、奴が道具類を投げ渡すところが見どころ。

(市指定無形民俗文化財)

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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御諏訪神輿(おすわみこし)【中部地区・市民有志】

諏訪神社近くの商店街有志が、「大四日市まつり」の出し物として昭和57年に大小2基の関西風みこしを製作し、御諏訪神輿と名付けたのが始まり。

東京の三社祭りを手本に江戸みこしの所作を学んで練っている。

大きな神輿は約210kgあり、当初の2基のほかに小型のものもある。

御諏訪神輿には、一般募集の祭り好きな担ぎ手が多く参加し、毎年大変な盛り上がりをみせている。

10月の第1土日に開催されている「四日市祭」にも、ネリのひとつとして奉納されている。

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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菅公(かんこう)【中部地区】

学問の神さま菅原道真公と2体の子どものからくり人形が、精巧な演技を行う。

ひとりの子どもが持つ額に、もうひとりが筆で書をしたためる。

それを見た菅公がほめると、子どもたちが喜び踊るというもの。

何の文字を書くのか、想像と期待に胸が躍る。

学問の尊さを伝えようと、旧・新丁(現在の新町・新々町など)の人たちによって明治初期に作られ四日市祭に奉納されたが、昭和20年の空襲で焼失。

昭和22年に山車が再建された。その後、人形師七代目玉屋庄兵衛の手によってからくり人形も再現され、平成2年には前木偶(正面の一段低いところにいる人形)が、老人から八代目玉屋庄兵衛作の童子に改められた。

山車の屋形の嵩上げや水引幕の新調など年々華麗さを増し、演技前に子どもが口上を述べる趣向も加わった。

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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岩戸山(いわとやま)、鯨船 勢州組(くじらぶね せいしゅうぐみ)【中部地区】

【岩戸山】

アマテラスオオミカミが隠れた天の岩戸の前で踊った女神「アメノウズメノミコト」を題材にしたからくり山車。

ウズメノミコトに化けて天の岩戸の前で踊っていたタヌキが、大きな鉦鼓の音に驚いて正体を現し、腹鼓をうちながら睾丸をふくらませるというユニークな演技と、一瞬の早変わりが見どころ。

四日市祭における旧・蔵町のネリとして、幕末から明治初期の頃につくられたが、戦災で焼失。

現在のからくり人形と山車は昭和63年に本町通り商店街の人たちによって、ほぼ手づくりで復元され、幕や彫刻、装飾品なども次第に整えられた。

ウズメノミコトの頭は人形師・八代目玉屋庄兵衛の作。

【鯨船 勢州組】

一昨年、塩浜地区の七つ屋町から本町通り商店街に譲られた鯨船「勢州組」も行列に加わる。

 

 

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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甕破り(かめわり)【中部地区・市民有志】

中国・宗時代の政治家である司馬温公が、高価だった甕を割って中に落ちた子どもを救い出したという、命の尊さを説いた逸話「破甕救児」のようすを再現したからくり人形山車。

甕の外側にいた子どもが、甕に上がり太鼓を打ち、その後、甕の中に真っ逆さまに落ちる。

下から操る人形が、甕の外、上、中、そしてまた外と、自由に動き回る「はなれからくり」の妙技が見どころ。

旧・西中町(現在の中部)の人たちによって明治26年に作られ四日市祭に奉納されたが、昭和20年の空襲で焼失。

平成2年に四日市商店連合会によって再建された。

山車の高さは約6mあり、破甕救児の彩色彫刻が施されている。

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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大入道(おにゅうどう)【中部地区】

江戸時代後期の文化2年(1805年)に製作されたといわれる。

身の丈4.5m、伸び縮みする首の長さ2.7m、高さ1.8mの山車に立ち、全高は9m。

からくり人形では日本一の大きさといわれている。

山車や人形の中に入った人形師6人が太鼓や銅鑼の音に合わせて操る。

旧・桶之町の町衆がオケに「大化」の文字をあて、オバケの仮装行列を四日市祭に奉納したのが始まりと考えられ、妖怪や鬼を思わせる彫刻が山車にも施されている。また、町に出没するタヌキの悪事に困りはてた人びとが、すごみのきく大きな大入道を作り、タヌキを退散させたという民話も伝わっている。

(県指定有形民俗文化財)

☆解説文監修:四日市市の祭りを学ぼう会

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郷土の文化財と伝統芸能

演技スケジュール

三滝通り・交差点会場(三滝通り・諏訪新道交差点)

15:25 大名行列【中部地区】

15:45 御諏訪神輿【中部地区・市民有志】

16:05 鯨船勢州組・岩戸山【中部地区】

16:30 大名行列【中部地区】

16:50 菅公【中部地区】

17:10 甕破り【中部地区・市民有志】

17:35 大入道【中部地区】

18:00 東日野町大念仏【四郷地区】

18:30 松寺の石取祭【大矢知地区】

三滝通り・西会場(市営中央駐車場前)

15:35 御諏訪神輿【中部地区・市民有志】

15:45 鯨船勢州組・岩戸山【中部地区】

16:10 菅公【中部地区】

16:35 甕破り【中部地区・市民有志】

17:00 大入道【中部地区】

17:20 東日野町大念仏【四郷地区】

17:55 松寺の石取祭【大矢知地区】

三滝通り・東会場(百五銀行前)

15:05 鯨船勢州組・岩戸山【中部地区】

15:30 大名行列【中部地区】

15:50 菅公【中部地区】

16:15 甕破り【中部地区・市民有志】

16:40 大入道【中部地区】

 

※岩戸山、菅公、甕破り、大入道、御諏訪神輿、大名行列のみ、三滝通り会場演技終了後、諏訪新道でも演技を行います。

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